#ななスポ(3):【七大戦応援企画】応援で心をつなぐ!二人の応援団長へのインタビュー

こんにちは、学生団体Ryuzの遠藤です。

七大戦実行委員会×学生団体Ryuzコラボ企画「#ななスポ」第3回の今回は、現在開催中の第61回七大戦の応援団長へのインタビューです!

7月2日(土)に行われた第61回七大戦の開会式では、応援団による演舞が披露されました。応援団は七大戦の華。第14代応援団長で応援団OB会「城萩会」第3代会長の木島明博先生、現在の第60代応援団長の平山貴大さんのお二人に、応援団と七大戦のかかわりや意気込みなどをお伺いしました。

※「そもそも七大戦って何?」という方は、第1回の記事「七大戦とは」第2回の記事「実行委員長インタビュー」を、あわせてご覧ください。

時代を越える、応援団の「魅力」

【7月2日開会式での平山さん】

―お二人が応援団に入部したきっかけを教えてください。

(平山)受験生激励がきっかけでした。5年前、冬の2月末、東北大学の受験で仙台駅に降りたら、すぐに応援団につかまったんです。「受験生ですか?」と聞かれて、ぜひ見ていってくださいと言われて、マーチ曲、応援歌を歌っていただきました。そのときに、言葉で言い表せない応援団のパワーを感じました。しかも、仙台駅前のペデストリアンデッキで受験生激励応援がなされるのですが、誰もそれを排除しようとしない。風物詩のようなものとして応援団が仙台の人に受け入れられている、環境が整っているということに感銘を受けました。そのパワーを受け取って無事に合格出来たら応援団に入ろうと決めていました。

(木島)僕は何か運動をしたいと思っていました。いろいろな部活に見学に行ったのですが、人がいなくて誰も構ってくれない。一人ポツンと川内の芝生のところに佇んでいたら先輩が来て、「1年生か?」と言うんです。「はい」と答えると「飯食ったか?」と。うどん屋に連れていかれて、素うどんを注文してくれて、「食えよ」と。ごちそうしてくれました。当時、僕は高校生のころに色んなことがあって人間不信に陥っていましたが、声をかけてくれた先輩の優しさにひかれて、そのまま応援団に入りました。

―応援のどこに魅力を感じていますか。

(平山)人のつながりもあるが、応援団に入ってみて応援の奥深さを感じました。活動では、細かい技術面の練習を重ねていきます。演舞の中でいかに良く見せるか、いかに鋭い動きをするかという部分。腕を振る練習ならば、1回の練習で300回、400回練習をします。

(木島)ある意味、演武ですね。個性のある踊りだと思う。応援の深さは僕も感じます。スポーツの観戦が好きな人がいるように、応援が好きな人がいます。各大学の応援団をわざわざ見に行っているという物好きな方もおられます。応援団では学友会体育部の全てのクラブの人たちとつながりができる。ただ話すのではなく、心のつながりができます。「勝利」という目標に向かって体育部は競技で頑張る、僕たちは応援で頑張る、そういうような共鳴・共感かもしれません。

【第60代応援団長の平山貴大さん(写真左)、第14代応援団長・応援団OB会「城萩会」第3代会長の木島明博先生(写真右)】

―学内の人からはどう見られていると感じますか。

(平山)クラブに入っていない人にはわかりづらいかもしれませんが、応援したクラブの人とはつながりができたのを感じました。教職員の方には練習がうるさいといわれることもあります。学生支援課の方には大変お世話になっています。

(木島)毛嫌いをしている人は少ないですね。「自分はそんなことはできないけれど、邪魔だとか毛嫌いするようなものではない」と大多数が思っていると思います。学生、教職員は一部、理解していない。けれども、大多数の教員は応援団を理解してくれていると思います。応援団が悪いことをやらないから、いいことをしているから、OBから後援会を作ってもらえる。クラブのOB会とは別に卒業生有志による「後援会」があるのは東北大学応援団が愛されている証拠だと思います。

七大戦が紡ぐ、応援団の意志

―コロナで中止となったあと、3年ぶりの開催ですね。中止になったときの心境は。

(平山)3年前の九州大学での七大戦には参加できたのですが、七大学の応援団が一つ屋根の下で1週間、一緒に過ごしていました。そこで生まれた横のつながりは本当にかけがえが無い。ですので、第59回、第60回の中止は本当に残念という気持ちで、大学の応援団同士のつながりが生まれないことは本当に無念でした。部活でつながる仲間もいますが、応援団というものを理解してくれる仲間はなかなかいません。他の部活でも生まれるはずだったつながりが途絶える危機感がありました。これまで脈々と培われてきた伝統が途絶えるのではないかとも思いました。

―平山さん、そんな過去2回を経て、今回はどうですか。

(平山)開催できること、私たちが1年生の時に得た経験を後輩、後世につなぐことができることがありがたいと思いました。今回は丸2年間止まってしまった七大戦を復活させる大会が仙台開催で、自分たちの手で復活させられるのはラッキーといいますか、やる気も大いに出てきますし、使命感のようなものにも包まれました。責任の重さもありましたが、だからこそ絶対に成し遂げたいと思いました。自分に限らず応援団員のみんなが広く思っていると思います。

―木島先生、初の4連覇がかかったタイミングの応援団長に何を感じますか?

(木島)体育部、応援団の皆さんはいろんな工夫をしてここまでもってきている。この3代は本当に苦労しているのを見ています。ここが成功して、七大戦の歴史を繋いでいくなどがんばってほしい。ただただがんばれ、成功させてくれという気持ちです。

(平山)ありがとうございます。

【4連覇を祈念して自ら揮毫した扇子を持つ木島先生】

―七大戦って、お二人にとってどんな存在ですか。

(平山)4年生は、この七大戦をもって応援団を引退する形をとっています。だから、私を含めた4年生にとって七大戦最後は大一番であり、4年間の集大成です。全国規模の大会なので、より多くより広い想いやパフォーマンスを届けられる貴重な機会です。応援団に限らず東北大、七大学のすべてがこれまでの修練の蓄積や積み上げを発揮する場と思っています。

(木島)集大成、最後の仕上げだって平山君が言ったでしょう。ただね、その想いを経験したOBとしてはそこから今後の人生において、感情、想いを熟成させていくところだと思います。私にとっては最も人生で重要なものは七大戦です。4年やってきたことを基盤に人生が築かれていく。精神的に難しい問題が起きた時には、そういう経験が生きているなと思います。だから今でも、七大戦を戦っているというか、楽しんでいます。

―今回の七大戦への意気込みをお聞かせください。

(平山)競技応援、演武会、全体に関しては、先ほど言った通りこれまでの4年間の積み上げすべてを出そうと思っています。史上初の4連覇という快挙に向けて、より多く、より広く、尽力してまいります。応援団が優勝することはないけれど、できることを出し切っていこうと思います。

(木島)今年の大会は2つのことがあります。一つは東北大学は主管校やぶり(主管校が1位を取れないこと)をされたことがないという伝統を守ること。もう一つは4連覇という新たな歴史をつくること。これまでの伝統を守り、同時に、新たな歴史を創るのが今年の七大戦の大きなテーマです。また、応援団には心と心のつきあいを徹底的に求めてほしい。将来の基盤になるような付き合いを作ってほしいです。

(編集部より)

応援団は、七大戦に参加する団体の中でも少し変わった団体です。ほかの競技とは異なり、審判がいるわけでも勝敗がつくわけでもありません。応援団として目指すものはなんだろう、取材前に考えていました。お二人にお話を伺う中で応援団は「想いとパフォーマンスを届ける」という言葉がありました。それらによって、人と人をつなぐ。それが応援団の目標なのだとわかりました。今年の大会でも、出来る限り色んな競技に応援に赴くそうです。各世代の応援団が工夫を重ね、極める応援道。そんな応援団を私も応援したいと思いました。

東北大学学友会支援基金へのお願い

東北大学では課外活動実施の資金を広く社会から受け入れるために、東北大学学友会支援基金を設置しております。皆さまのご理解とご支援を心からお願い申し上げます。

https://www.kikin.tohoku.ac.jp/project/support_the_project/gakuyukai

から「寄附をする」をクリックしてください。

学友会への支援を行うためには、
寄附目的として「特定のプロジェクトを支援」を選択し、
使途として「学友会支援基金」を選択してください。

特定の部を支援したい場合は、通信欄に「XX部の支援のため」とご記入ください。

>とんぺースポーツ

とんぺースポーツ

東北大学学友会体育部の学生やOBOGに向けた情報発信サイト、その名もとんぺースポーツ まだまだ編集中

CTR IMG